母の日──感謝と想いを伝える特別な一日

5月の第2日曜日、心を寄せる瞬間

「母の日」と聞くと、多くの人がカーネーションやプレゼント、家族の団らんを思い浮かべるだろう。毎年5月の第2日曜日に訪れるこの記念日は、日本だけでなく、世界中で祝われている。だが、何気なく過ごしてしまいがちなこの日には、深い歴史と文化的背景、そして時代とともに変化してきた「母への感謝」の在り方が秘められている。

本稿では、母の日の由来から現代における意義、そして私たち一人ひとりにとっての「母親」という存在について、多角的に考察していく。

母の日の起源:アメリカの一人の女性から始まった

現在の「母の日」のルーツは、20世紀初頭のアメリカにさかのぼる。提唱者はアンナ・ジャービスという女性。彼女は、社会運動家として活動していた母・アン・ジャービスの死を悼み、「母への感謝を表す日を作りたい」と願い、1908年に初めて記念式典を開催した。

その後、アンナの活動は全米に広がり、1914年にはアメリカ議会が5月の第2日曜日を「母の日」として正式に制定した。母の日が広がった背景には、第一次世界大戦後の家族再生や、家庭の大切さを再確認しようとする世の中の空気も関係している。

面白いのは、アンナ本人が後年「商業化された母の日」に反対し、撤回を訴えていたという事実だ。当初は純粋な感謝の気持ちを伝える日だったが、いつしか花やギフトが主役になっていく様子に、彼女は憤りを感じていたのである。

日本における母の日:戦前から戦後へ

日本に「母の日」が紹介されたのは、大正時代初期。キリスト教関係の団体が中心となって広めたとされるが、一般的に浸透したのは戦後である。特に昭和12年、皇后(当時の香淳皇后)の誕生日(3月6日)を「母の日」と定めたことで、国を挙げての祝日ムードが広まった。

しかし戦後、日本もアメリカに倣い、5月の第2日曜日を「母の日」と改めることになる。高度経済成長期を経て、花屋やデパートのキャンペーンが盛んになり、現在のような「贈り物と感謝の一日」として定着した。

母の日の象徴:なぜカーネーション?

母の日の花といえば「カーネーション」が定番である。その理由も、先述のアンナ・ジャービスに由来している。彼女の母が生前、白いカーネーションを好んでいたことから、母の日のシンボルとして贈るようになったのがきっかけだ。

当初は「亡くなった母には白いカーネーション」「健在な母には赤いカーネーション」と色によって意味を分ける習慣があったが、近年では色にこだわらず、ピンクやオレンジ、紫など多彩な品種が贈られるようになっている。

また、花に限らずスイーツや食事券、雑貨や旅行など、母の日のギフトの選択肢は年々多様化している。何を贈るかよりも、「どういう気持ちを込めるか」がより重要視されているのは間違いない。

母という存在の多様性と時代の変化

「母」という言葉にどんなイメージを抱くかは、人によって大きく異なる。家事や育児を支えてくれた存在、仕事と家庭を両立していた背中、厳しくも温かい教育者……その姿は家庭の数だけある。

一方で、現代では家族構成の多様化が進んでいる。シングルマザー、ステップマザー、LGBTQ+家庭、養子縁組など、「母」という存在も以前より複雑で多層的になっている。さらには、母としての役割を社会的・精神的に支える人──たとえば祖母や保育士、父親が「母のように」寄り添うケースも珍しくない。

母の日は、「産んでくれた人」だけでなく、「母のように私を支えてくれた人」にも感謝を示す機会になりつつある。これは時代が進んでも変わらない、“思いやり”の本質を表しているのかもしれない。

忙しさの中で、あえて立ち止まる意義

現代人は日々、忙しい。仕事、学校、家事、人間関係……日常に追われる中で、つい「感謝の言葉」や「気持ちを伝える機会」を先延ばしにしてしまう。しかし、母の日はそんな私たちに“立ち止まる理由”を与えてくれる。

花を買う、手紙を書く、電話をかける──どんな形であれ、「ありがとう」の一言を伝えることは、決して当たり前ではない。大切な人が健在でいる時間は限られている。だからこそ、母の日は単なる行事ではなく、日々の関係性を見つめ直す「心の節目」と言えるだろう。

まとめ:母の日にできる、たったひとつのこと

母の日に何をすればいいか──答えは人それぞれだ。高価なプレゼントでも、手作りの料理でも、たった一言のメッセージでもいい。大切なのは「自分の言葉で、感謝を伝えること」。

そして何より、母の日が過ぎたあとも、「感謝」を忘れずにいることこそが、最も尊い行為なのかもしれない。

あなたにとっての「母」とは、どんな存在だろうか。その答えを胸に、今年の母の日を迎えてみてはいかがだろうか。