「競馬」と聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのは東京競馬場や阪神競馬場などの「中央競馬(JRA)」だろう。華やかなG1レース、有名騎手や調教師、メディアの注目度の高さ――確かに中央競馬には目を奪われる要素が数多くある。
だが、日本全国には中央競馬とは別に、地方競馬と呼ばれるもうひとつの競馬の世界が広がっている。南関東、北海道、東北、中部、近畿、中国、四国、九州……地方ごとに展開されるレース場には、中央とはまた違った情熱とドラマが息づいているのだ。
このコラムでは、地方競馬の歴史や特徴、地域との関わり、そしてその魅力について改めて掘り下げてみたい。
まず、地方競馬と中央競馬の大きな違いは、運営主体にある。中央競馬は農林水産省の監督下にあるJRA(日本中央競馬会)が運営しているのに対し、地方競馬は都道府県や市町村など、地方自治体が主催する公営競技である。
現在、日本には以下の地方競馬場が存在する(2025年現在で10場):
レースの距離や出走頭数、賞金、騎手の層なども中央競馬とは異なるが、特に地方競馬ならではの魅力がある。それは「距離の近さ」「泥臭さ」「人間ドラマ」だ。
地方競馬場に足を運んだことがある人なら、その親しみやすさに驚いた経験があるだろう。スタンドと馬場の距離が非常に近く、ゴール前で馬の息遣いが聞こえるほどだ。入場料も安く、場内もコンパクトで移動しやすい。
さらには、騎手や調教師との距離も近い。レース前後に直接話しかけることもでき、SNSでやりとりをすることも珍しくない。この**「顔の見える競馬」**が、地方競馬の最大の魅力かもしれない。
また、地元の馬主や生産者、調教師が密接に関わっているため、レースにはどこか地域のお祭りのような温かさがある。それぞれの地に根ざした“推し馬”や“推し騎手”が存在し、ファンとの絆を築いている。
中央競馬のレースが「洗練されたエンタメ」だとするなら、地方競馬はまさに**「リアルな闘い」**だ。
地方競馬場の多くはダート(砂)コースで、馬場のコンディションが中央よりも荒れやすい。雨が降ればぬかるみ、前が泥をかぶる展開になることもある。こうした中でのレースは、騎手の技術力と胆力がものを言う。
また、出走する馬の多くが、中央で活躍できなかった馬や、怪我や体調の問題で転戦してきた馬たちだ。しかし彼らは地方で再び「居場所」を見つけ、時には息を吹き返して中央を凌ぐ実力を見せることもある。
そうした**“復活の物語”**が、多くのファンを惹きつけてやまない。
地方競馬の世界には、厳しくも温かい人間ドラマがある。
たとえば、かつてJRAで活躍した名騎手が地方に移籍し、再び騎乗の機会を得る例。あるいは地元出身の若手騎手が、厳しい条件の中で日々腕を磨き、南関や中央でチャンスをつかむ例もある。
また、騎手・調教師・厩務員が一丸となって1頭の馬を育て上げ、ようやく1勝をあげたときの喜びは、何ものにも代えがたい。地道に積み上げる努力と、苦労の末に手にした勝利の美しさは、地方競馬ならではの醍醐味だ。
地方競馬は、単なる娯楽ではない。地域の経済や文化に密接に結びついている。競馬場の存在は、雇用を生み、地元産業(農業、観光、飲食など)との相乗効果をもたらしている。
近年では、ナイター開催(「トゥインクルレース」)やYouTube・ネット中継の拡充により、全国どこからでも地方競馬を楽しめるようになった。これにより、地方競馬は「地域に根ざした公営競技」から、「全国の競馬ファンとつながる文化」へと進化しつつある。
地方競馬を舞台にした漫画や映画(例:『ウマ娘』にも地方所属馬が登場)なども登場し、その注目度は確実に高まっている。
しかし、地方競馬は今も“消滅の危機”と隣り合わせだ。過去には多くの競馬場が赤字で廃止され、かつて全国に30以上あった地方競馬場は、現在では10場にまで減少した。
特に地方自治体が財政難に陥った場合、真っ先に削られるのが娯楽関連事業であり、競馬場も例外ではない。だが、ここ数年のネット投票(SPAT4、オッズパーク、楽天競馬など)の普及により、売上は回復傾向にある。コロナ禍をきっかけに「在宅で楽しめる公営ギャンブル」として再評価された面も大きい。
いま、地方競馬は第二の黄金期を迎えつつあるのかもしれない。
中央競馬が表舞台の華やかなステージだとすれば、地方競馬は裏舞台で日々を懸命に生きる人々のリアルな物語だ。
そこには敗北も再起もあり、栄光も苦悩もある。土の匂いと汗の温度が感じられる競馬。だからこそ、地方競馬は面白い。
たった1勝を目指して、馬と人が泥を蹴り、ゴールを目指す――その姿を、あなたはどこか自分に重ねてしまうかもしれない。
地方競馬には、人生そのものがある。